第94回 『一朶』

4月も今日で終わりである。アッと言う間である。今月は癖の強い犬のレッスンが多かった。ゲージの中で大人しく出来ない柴犬。エレベーターに入った途端に常同障害を起こすシェルティー。おもちゃに異常な程執着するボストンテリア。チアノーゼを起こす程リードを引っ張るハスキー。他の犬を見つけると攻撃的になり飼い主の腕や手を嚙むチワワ。等、いずれも飼い主を悩ます深刻な問題である。どうすればいいか途方に暮れておられる。が、私は犬の心理が手に取るように分かるのでリードを持った途端、向き合った途端に我に返り穏やかな心理状態に変わっていく。それを目の当たりにした飼い主は唖然とされるが、私は私で飼い主にどう指導していくか悩む。癖の強い犬はウェルカムだが、人間は本当に難しい。問題行動のほとんどは飼い主が作ったものなので、治すのも飼い主である。私の役目はそれをサポートする事。飼い主は自分の悪い癖を治していかなければならない。癖直しである。私が飼い主の悪い癖を治せたらどんなに良いか。しかしイソップ物語の『北風と太陽』ではないがやはり人は人を変える事は出来ないものである。あくまでキッカケにしかなれない。ただのキッカケである。そのキッカケになる為に日々努力である。

昨年の暮れから司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読み直している。言わずと知れた名作である。司馬遼太郎が約10年かけて完成させた超大作である。私は司馬遼太郎の作品が大好きであるが、何がすごいってその情報量の多さである。たった一行の文を書くのに一体どれ程の時間と労力がかかっているか。その一行一行の積み重ねであの超大作が出来上がるのである。そして多くの読者の人生の分岐点のキッカケを作っているのである。

それを思うと私のキッカケ作りは屁みたいなものである。

まだまだ私の頭上には一朶の白い雲が流れている。

 

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