第101回 『お門違い』

格闘家の朝倉選手が完膚なきまでに惨敗を喫し、SNS界隈を賑わし、ヤフーのトップニュースにも取り上げられ、『一人の格闘家の試合でここまで騒がす事が出来るとは・・・。』と改めて朝倉選手の影響力の大きさを感じた。負けてしまった事は残念だが、彼が抱えている物の多さを思うと致し方なしかと思う。抱えている物が多ければ多い程、エネルギーが分散し、自然一つの物事にかけるエネルギーも弱ってしまう。それは当然努力不足に繋がる。『凡才プラス努力は天才マイナス努力に勝る』である。朝倉選手にはしっかり休養し、またカムバックを果たしていただきたいと思う。

犬のしつけにおいてもエネルギーは非常に重要である。動物は強いエネルギーに従う。私はどの飼い主に対しても『犬にルールを教える為にはエネルギーを整える必要性』を説く。

『強いエネルギー』を誤解している人は非常に多い。スポーツ選手、格闘家、やり手の経営者、見るからに元気ハツラツな人・・・。それらの人達は人間の世界ではエネルギーの高い人になろう。しかしそれらの人達が皆犬のしつけがきっちり出来るのかと言うと決してそうとは言えない。動物が感じるエネルギーと人間が感じるそれとは違うからだ。

『強いエネルギー』とは『眼前に集中する力』である。言い換えれば『行動と意識が完全にリンクしている』状態を言う。その力を養う為には極力文明の利器に頼らない努力だ。故に、原住民族の方達が世界で一番エネルギーの高い人間である。

動物は今を生きている。過去も未来もなく今を生きている。人間の究極の目標を彼らは実に淡々と実行している。言わば我々の師とも言えるのである。その師に対してしつけをするのだから、それはそれは大変な努力を要するのだ。技術やオヤツで事なきを得ようというのはお門違いとさえ思うのだが如何。

第100回 『見極める重要性』

キンモクセイの香りと虫の音に癒され、ベランダにつるされている干し柿に日本の伝統美を感じ、自治会の集会所から聞こえてくるご婦人方の唱歌に国体護持の重要性を再認識される。気付けば10月も終わろうとしている。季節の変わり目、特にこの時期はセンチな気分になりがちであるが、毎日充実し、気力も体力も漲っているからか郷愁を感じる隙間もないぐらい働かせていただいている。

9月の初旬から15才の老犬をお預かりしていたが、先日無事に飼い主さんのもとへお返しする事が出来、ホッとしている。2か月近く何事もなく管理出来た事で安堵安堵である。「助かりましたぁ、ありがとうございましたぁ。」と喜ばれる飼い主さんを見て、『愛犬のお預かりで人様のお役に立つのもいいもんだな。』という気持ちも出てくるが、やはり私の本分はしつけ指導・問題行動改善である。難解な問題を抱えている犬や癖の強い飼い主(失敬)と向き合っている時に最も生きがいを感じる。

私はよく『冷静な心の重要性』を飼い主に説く。はっきり言うがしつけや問題行動改善に技術は不要である。あるに越した事は言うまでもないが、無くても何とでもなる。無くすと困るのは冷静な心である。動物の世界には落ち着きのないボスは存在しない。すぐに不安になるボスは存在しない。転じて人間の世界はどうか。信念のない課長。すぐにイライラする部長。自己保身に走る社長。責任転嫁ばかりする係長。恥ずかしくて目も当てられない。動物には肩書など通用しないのである。冷静な心から発せられるエネルギーによって、従う心が芽生え、規律と運動によって精神が安定し、それらの継続により様々な問題行動は霧消するのである。

現在は情報社会である。誰でも情報を発信できる時代である。それすなわち『取るに足らない情報や薄っぺらい情報』が氾濫しているという事だ。多くの飼い主と向き合っていると情報に溺れている方がいかに多い事かと感じる。

先日もフードアグレッシブに頭を抱えている方から問い合わせがあったので見に行かせていただいたのだが、「フードアグレッシブが凄くて・・・。」と電話口で聞いた時点で『情報洪水の被害者やな・・・。』と感じた。話を伺うとやはりネットの情報を調べてしつけをしていく内にどんどん酷くなってきたとの事。状態はかなり酷く、エサの準備をしているだけで怪しい雰囲気になり、食器を持って近付くと唸り始め、食器を置くか置かないかっていうタイミングで噛みついてくる。実践で大人しくさせる事を飼い主に見せるとポカンとされていたが、メカニズムを説明すると更にポカンである。そりゃそうだろう。洪水に呑まれた方にとっては私の説明はほぼ初耳だろうから。私の考え方ではフードアグレッシブとはパニック障害である。勿論先天性ではなく人間が作った後発性のものである。それを治すには冷静な心が不可欠である。冷静な心の構成要素は『信念』と『勇気』である。技術はおまけだ。

どうか洪水に呑まれる事なく、信念と勇気を確立し、冷静な心を醸成していただきたい。私も生涯をかけて冷静な心を堅持する努力を惜しまない所存である。

第99回 『アオい』 

朝晩がだいぶ涼しく快適に過ごせるようになり、早朝犬と一緒に歩いていると寒いぐらいである。虫の音色も軽やかで『あぁ、秋到来やなぁ。』と喜びと去り行く夏への寂しさを感じながら一日をスタートさせている。いつの頃からか季節の変わり目に少しセンチな気分を感じるようになった。私はよく若く見られるが、来年で46である。もうたいがいのオヤジである。と言っても90代でも現役バリバリの訓練士、というのが一番の夢なのでまだまだ青二才である。『ネヤガワアオニサイオヤジ』である。一応ヒト科である。よろしく。

先日から15才の老犬をお預かりしている。私が独立して2年目の時に3か月程出張訓練で見させていただいた子である。その時にはまさか約10年後にもその犬の世話をしているなんて想像すらしていなかった。出会った当初は気が荒く、すごくエネルギッシュだったのに、今やすっかり老いぼれて、他の犬にオヤツを取られてもうんともすんとも言わなくなった。年月の流れにセンチな気持ちになりながらも「お前も年取ったなぁ」と声をかけながら世話をしていると感謝の気持ちで満たされる。

縁の不思議さを感じながら、マイペースで、真面目に、目の前のやるべき事に打ち込む所存のネヤガワアオニサイオヤジの近況である。

第98回 『ひと夏の・・・。』

連日暑い日が続いているが朝晩はだいぶ過ごし易くなってきた。ツクツクボウシが鳴き始め、赤とんぼが機嫌よさ気に飛び回る。暑さに捉われず、静かな心で周りを見渡せば秋の訪れを感じる事が出来る。時の移ろいに若干の寂しさを感じなくもないが、やはり秋の気配を感じる事は嬉しいものである。

気付けば8月も半ばを過ぎたが相変わらず夏時間のスケジュールで動いている。毎日時間と格闘しながら多くの犬と飼い主さんと向き合っている。私はよく飼い主さんから色々な物を頂く。季節の食べ物や産地の名物、アルコールを始めとした各種飲み物、日用品等様々であるが、先日とある飼い主さんから靴を頂いた。この仕事をして20年以上になるが靴は初めてである。しかもブランド物。ミズノである。見るからに高そうなのでそれとなく値段を聞くとたまげた。ファッションに全く興味のない私が愛用しているノーブランドの靴の約6倍の値段である。目ん玉飛び出るか思た。

頂いたその日に早速履いてみたのだが、履き心地の良さにまたまた目ん玉が飛び出た。底が厚く、地面にしっかりフィットしていて、それでいて軽い。『何じゃこりゃぁぁぁぁ!!!!』である。松田優作化現象である。しかも先に樹脂が入っているので犬につま先を嚙まれても安心である。『ううむ・・・ミズノ恐るべし・・・。』とうなりながらもほくそ笑む。

ブランド物の高い靴は値段に見合う価値がある。という事に今更気付かされた。喜んでいいのか悲しむべきなのかよく分からんが、45才中年男のひと夏の体験であった・・・。

 

第97回 『蝉礼賛』

先月末から夏時間で動いている。昼間の暑い時間を避ける為、午前中は早朝4時過ぎには飼い主さん宅に到着し仕事を開始し9時半には切り上げるようにし、午後は17時頃から始め、終わるのはだいたい20時過ぎ、遅い時は21時近くになる。とても疲れるスケジュールだが、習慣とはエライもんで10年以上やってると当たり前になり、体はすぐに慣れる。先日の事である。その日も20時過ぎに仕事を終え、飼い主に対する指導法を考えながらの帰路、ふと前方に視線を向けると何やら小さい生き物が電灯に照らされ動いている。『何やろう?』と思い近付いてみると何と脱皮したばかりの蝉である。脱皮直後の蝉が真っ白いのにも驚き目を奪われたが、その蝉が真っすぐ木に向かっている姿に深く感動した。一秒も無駄にせず、自分がやるべき事に打ち込む姿勢に美を感じ、無意識の内に私は蝉に向かって合掌していた。他人が私のその姿を見たら奇異の念を抱いたであろうが、そんな事私はどうでもいい。美しいものに畏敬の念を抱く心を持つ事の方が私には価値があると思う。合掌出来る両手がある事に深謝である。

その蝉の姿を瞼に、脳裏に焼き付けながら『あの蝉のように美しく、説得力のある存在になりたい。』と念じながら家路についた次第である。

子供の情操教育の為には虫取りも必要なのかもしれないが、同時に小さな命にも人の心を動かす力があるという事を世の親御さんや教師には教える義務があると思う。

山川草木悉皆成仏。

第96回 『肥料』

実家の老描、愛犬マックス、10年以上お世話になった恩人、15年近く面倒を見させていただいた犬。去年の暮からここ最近にかけて別れが相次いでいる。否が応でも人生を考えさせられる。元々沈思黙考人間である私がさらに磨きがかけられ、常に考え込む事が増えてきている。と書くとまるで私がふさぎ込んでいるかの如くに思われるかもしれないが、実際はそんな事はない。明るい気持ちではないかもしれないが、落ち込んでいるわけではなく、何と言うか、静かな気持ちで物事を考え日々を過ごしている、という感じである。少しの配合で深みが増すコーヒー豆のようには人間の場合は簡単にはいかないが、もう少し時間が経てばここ最近の沈思黙考の時間がうまい具合に焙煎されて人生に還元されていくような予感がしている。人生に還元されるという事は即ち仕事にも還元されるという事でもある。難しい犬のしつけに応用できるようになるのは勿論の事、導き難い飼い主を助けてあげられる力が増すと思う。誤解を恐れずあえて書くが、訓練士の仕事は犬を治す事ではなく、飼い主を治す事である。その為には説得力のある人間になる必要がある。

ここ最近の出来事、沈思黙考の時間は私にとって欠く事の出来ない肥料なのだ。

 

第95回 『皐月雑感』

五月も終わりである。という事はフィラリアの予防薬の投薬期間の開始である。病院によっては四月から飲ませようとする所もあるが、かかりつけの病院がもしそうであれば少し考え直した方が良いかも・・・。商売根性丸出し病院の可能性あり・・・。

10年以上処方してもらっていたマックスの分が今年から無い事で寂しい気持ちがどっと押し寄せてくる。まだまだ私の日常生活のあちこちにマックスは存在している。

先日、酷い噛み癖のあるコッカースパニエルの問い合わせがあったので奈良県まで車を走らせたのであるが、あまりにも景色が変わってなさ過ぎて驚いた。奈良県は私が20代の全てから30代前半を過ごした地であるが、当時のままであった。

新しい物、新しい事、変革によって人の心は動かされるが、古い物、変わらない物によっても人は感動する、という事に思い至る。

そこに何かしら人生の妙味を感じる今日この頃である。

第94回 『一朶』

4月も今日で終わりである。アッと言う間である。今月は癖の強い犬のレッスンが多かった。ゲージの中で大人しく出来ない柴犬。エレベーターに入った途端に常同障害を起こすシェルティー。おもちゃに異常な程執着するボストンテリア。チアノーゼを起こす程リードを引っ張るハスキー。他の犬を見つけると攻撃的になり飼い主の腕や手を嚙むチワワ。等、いずれも飼い主を悩ます深刻な問題である。どうすればいいか途方に暮れておられる。が、私は犬の心理が手に取るように分かるのでリードを持った途端、向き合った途端に我に返り穏やかな心理状態に変わっていく。それを目の当たりにした飼い主は唖然とされるが、私は私で飼い主にどう指導していくか悩む。癖の強い犬はウェルカムだが、人間は本当に難しい。問題行動のほとんどは飼い主が作ったものなので、治すのも飼い主である。私の役目はそれをサポートする事。飼い主は自分の悪い癖を治していかなければならない。癖直しである。私が飼い主の悪い癖を治せたらどんなに良いか。しかしイソップ物語の『北風と太陽』ではないがやはり人は人を変える事は出来ないものである。あくまでキッカケにしかなれない。ただのキッカケである。そのキッカケになる為に日々努力である。

昨年の暮れから司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読み直している。言わずと知れた名作である。司馬遼太郎が約10年かけて完成させた超大作である。私は司馬遼太郎の作品が大好きであるが、何がすごいってその情報量の多さである。たった一行の文を書くのに一体どれ程の時間と労力がかかっているか。その一行一行の積み重ねであの超大作が出来上がるのである。そして多くの読者の人生の分岐点のキッカケを作っているのである。

それを思うと私のキッカケ作りは屁みたいなものである。

まだまだ私の頭上には一朶の白い雲が流れている。

 

第93回 『再生』

3月に入った。風に揺れるスイセンを見て口元が綻び、イソヒヨドリの美しいハーモニーに心洗われ、メジロのつがいの仲睦まじい姿を見て優しい気持ちになる。

過ごし易い時節になった。が、何となくスッキリしない気分で過ごしている。大切な相棒を失ってから迎える初めての春である。桜が至る所で開花し始め、華やかな光景を展開しているが、いつも隣にいたマックスがいないだけでこんなにも違った景色に見えるのかと驚いている。

一個人にいかに大きな出来事が起ころうとも、自然の摂理や世間はいつもと変わりなく時を刻む。その事実に直面する時、寂しさを感じるのだろう。諸行無常を受け入れざるを得ない時、虚無感に包まれるのだろう。桜の美しさはその事に気付かせてくれる。

話は変わり、先日外を歩いている時にエネルギッシュな若い柴犬を杖をついた初老のご婦人が完璧に制御しながら歩いている光景に出くわした。思わず立ち止まり感心しながら観察していると、その老婦人の犬の扱い方が私のしつけ理論と合致している事に気付き、感心から感動へと移行し、より一層自分のしつけ理論に自信を深める事が出来た。

桜の美しさに虚無を感じ、初老のご婦人の振る舞いに希望を見出す。たまにはそのような春の迎え方があってもいい。

自然の摂理や世間の流れに捉われず、私は私のペースで再生していく。

 

 

第92回 『鎮魂』

今月12日に愛犬マックスが永眠しました。

16年の生涯でした。

亡くなる2週間前から介護状態になりましたが、最後の最後まで賢く、本当に本当に立派な犬でした。

1才半の時に引き取ったので、14年間を共にしましたが、その14年より最後の2週間の方が、マックスを抱きしめてあげた回数が多い事に気付いた時に自分の不甲斐なさに愕然としました。その14年より最後の2週間の方が、マックスに「ありがとう」と伝えた回数が多い事に気付いた時に懺悔の気持ちに押しつぶされそうになりました。

『何でもっと抱きしめてやらなかったんやろう。』

『何でもっとありがとうを言わなかったんやろう。』

マックスを抱きかかえながら見上げた満月の神々しい光。

号泣しながらマックスに感謝の念を伝えた時の夕日の輝き。

私は生涯忘れる事はないでしょう。

 

息を引き取った当日は季節外れのぽかぽか陽気でした。『せめて最後はお天道様の下で。』との想いで抱きかかえながらベランダへ移しました。太陽の光を浴びた瞬間のマックスの表情に感動しました。とてもしんどいはずなのに微笑んだのです。その瞬間『世界一美しい犬だ。』と思いました。前が見えないぐらい号泣しました。その2時間後、私の最高の相棒は旅立ちました。

マックス。

太陽の光を浴びた瞬間、君の目には何が見えたのかな。

大好きなササミすら食べれなくなって本当に苦しかったね。

水も自力で飲めなくなって本当にしんどかったね。

君は

君は

オレに引き取られてよかったのかな。

幸せやったんかな。

その答えは、自分があの世に行った時に分かるんやろな。

あの世へ行った時に、マックスが迎えにきてほしい。またマックスと散歩がしたい。

それを叶える為には、一生懸命生きるしかない。生き切るしかない。

愛犬家の皆様、どうか後悔の念が残らないよう愛犬との一日一日を大切にして下さい。いっぱいいっぱい抱きしめて下さい。感謝の念を忘れないで下さい。

最後に改めて

マックス、ホンマにホンマにありがとう。どうか安らかに。

合掌。