第133回 『8割バッター』

連日暑い日が続いている。私は暑さにめっぽう強いのだが、今年は例年にない体のだるさを感じていた。『何か暑さに弱くなってもうたんかな・・・。』と若干センチメンタルな気持ちになっていたのだが、気合いとは大したもので、『負けてたまるか!!!』『負けてたまるか!!!』『負けてたまるか!!!』と心の中で連呼しながら1週間程過ごしているといつもの調子を取り戻し、暑さに順応出来るようになり、ジリジリ照りつけるお天道様に対しても感謝の念を抱けるまで回復した。時代は変わってもやはり気合いと根性は最大の友である。無理は禁物だが、無理を我慢せずに真の幸福なし、である。

話は変わり、約15年振りに車を買い替えた。シートもボディもボロボロになり、20万キロを共にした相棒との別れに少し感慨深いものが私の胸に去来した。大げさな話、少し涙腺が緩み、目の奥がジーンとなってしまった。自分でもよく分からず、『何でこんなに寂しい気持ちになるんやろ・・・。』と静かに考えを巡らす。

『あ・・・。』

『マックスか・・・。』

今は亡き愛犬マックスとの思い出が沢山詰まった車。

だからかぁ。

マックス、ゴメンな。新しい車と共にオレは頑張るよ。

センチになったり、気合いを入れたり、またセンチになったり・・・。

何才になっても

私は落ち着きのない人間でございます。

7月も残り僅か。

言うてる間に8月。

地獄のスケジュールの8月が待っている。

気合い8割、センチ2割で乗り切る所存でござる。

第132回 『突き抜ける』

2日前から犬をお預かりしている。部屋でフリーに出来るぐらい常連の子でもうかれこれ5年近くお付き合いをさせて頂いている。お預かりしている間は1日散歩5回、計4時間は運動に費やしているのだが、あいにくの天気でいつもより運動が出来ていない。台風の影響で雨ばかり・・・。来週の月曜日までのお預かりなので、それまでには天気が回復していつも通りの運動をかけてあげたいと思っている。合羽を着て、長靴を履いて散歩に行けばいいのだろうが、長靴で長時間歩くとドッと疲れるので不精をかましてしまっている。犬に対して申し訳ないとは思うが、私の晴耕雨読に付き合ってもらっている。

先日から、永田文昌堂という出版社から発行されている『清沢満之先生のことば』という本を読んでいる。

すごい本である。

清沢満之。

あの司馬遼太郎が『日本の名著百選』を選ぶ際に真っ先に名を挙げた人物として知られる人物。弱冠40歳という若さで亡くなられた方であるが、その生涯の功績の大きさは計り知れないものがある。自己とは何ぞや、人間とは何ぞや、生きるとは、死とは。生涯を懸けて追究され、そこから紡ぎ出される言葉に圧倒されてしまった。あり過ぎる説得力に感動し、雷が脳髄に落下して、肛門へ突き抜けるような爽快感で満たされる。これほどの本との出会いはそうそうあるものではない。

グループリーグを突破し、ブラジルとのトーナメント戦を控える日本代表の話題で世論は湧き立っているが、私は清沢満之先生との出会いで心が湧き立っている。

狂喜乱舞している。

第131回 『私語り』

先日私は48回目の誕生日を迎えたのだが、何人かの飼い主さんは私の誕生日を把握されており、その方々からお祝いの言葉を頂戴した。その内の一人の年配のおじさんの言う事が面白い。「先生、誕生日ぐらいは酒飲むんかぁ。」私は普段から一滴も呑まないし、誕生日だからって何か特別な感情が湧くわけでもないし、従っていつもと違う事は何もしない。との旨をお伝えすると、「酒も呑まん、美味いモンも食わん、って何が楽しくて生きてんねんなぁ。」ときたもんだ。私は笑って答えない。

晩酌が楽しみな人、美味しい物を食べる事が楽しみな人、旅行や遊びが楽しみな人から見たら私の生き方は無味乾燥しているように映るのだろう。が、私は私なりに人生を楽しんでいる。1日の内で一番幸福を感じるのが早朝の静かな時間にコーヒーを飲みながらの読書と正座だ。この時に至福を感じる。静寂の力を得ている。犬と向き合う時に一番必要な『静かで強いエネルギー』はこの時間帯に頂いている。

お酒や美味しい物や旅行等に楽しみを見出す事は悪い事とは思わないが、いつからか私はそういう事にあまり喜びを見出せなくなった。何となく、本当の幸せってそれらとは別のところにあるような気がして、本物の幸せってもっと静かで、揺るぎないものなんじゃないかと思うようになった。先人、先哲の本を読み漁り、実生活に取り入れ、実践し、反省し、研究しを繰り返し今年で10年あまり。まだまだ発展途上だが自分なりに見えてきていると感じれるぐらいのところまではきたかなと思う。

夢の世に 同じ迷いにほだされたる人々に

名を知られて何かせん。

永き後に 悟りを極めて 仏の御前にて

名を上げたまえかし。

これからも私は酒や美食には目もくれず、本物を追い求める日々を過ごすでしょう。

一年後の今頃、私はどこまで成長出来てるのか、はたまた退歩しているのか。

それを肴にして人生に酔ってまいります。

第130回 『笑う』

新年度がスタートして早ひと月が過ぎようとしている。今年は雨が多かったからか、桜もあまりパッとせず、気付けば散っていたという何とも拍子抜けな花見だった。ま、それも一興である。自然を前に我が計らいを持つ事は実におこがましい。雨の日には雨の日なりの喜びを、晴れの日には晴れの日なりの感謝を見出す。これは昔も今も我々に与えられている命題ではなかろうか。

月かげの

いたらぬさとはなけれども

ながむる人の

こころにぞすむ

良い出来事、良き御縁は勿論だが一見すると悪い出来事や悪縁にも仏様の御力が働いているという事を見出せるようになれる人が本当の幸福者と言えるのだろう。

日々、色々な犬や飼い主さん達と関わらせて頂いているが、その中で非常に熱心に私の話に耳を傾けて、私の指示を守って努力してくれている方がいる。60を過ぎたオジサンなので私よりも一回り以上も人生経験を積んでおられるにも関わらず、青二才の若僧の言葉を聞いてくれる。毎日毎日お仕事で多忙な中でも私の指示通りの散歩をしてくれている。その謙虚な姿勢に胸を打たれる。胸を打たれるので自然と私も指導に熱が入る。熱が相手に伝わり奮起する。奮起する姿を見て感動する。するとどうだ。あんなに噛みまくってた犬が、吠えまくってた犬が穏やかに歩き、犬と挨拶を交わすようになった。

訓練士にとって一番幸せを感じる瞬間である。

飼い主喜び

犬笑う。

自然に目を転ずれば山笑う季節である。

一人でも多くの飼い主さんと犬笑う喜びを共有できるよう精進を重ねたい所存である。

第129回 『クロちゃん』

日々色々な犬と飼い主と関わらせて頂いているが、中でも非常に熱心に私の言葉に耳を傾け、実践してくれている方がいる。その方が飼われている犬は非常に扱いにくい気質で、引っ張り癖が激しかったのだが、驚くほど上達し、穏やかに歩けるようになってきている。私のしつけの考え方に信用してくれ、結果を出してくれる事ほど幸せな事はない。

「まだまだ前途に不安が無くなったわけではありませんが、足元に光が灯るようになりました。」

訓練士冥利に尽きる言葉である。

犬が言う事を聞くようになったとしても、必ず崩れる時はくる。そりゃそうだ、生き物だもの。でもその時に『このやり方をすれば大丈夫。』というものがあれば。軌道修正出来るものがあれば、人は希望を持てる。ガンになったとしても、この治療法を実践すれば必ず治る、というのがあれば前を向けるように。一人の飼い主さんにとって、その役割を私が担えた事を心から幸せに思う。

私は私のやり方考え方に賛同してくれ、実践してくれる方に全力で支えていく所存である。

話はかわる。

先日、14年もの長きにわたってお世話させて頂いた犬が旅立った。最後の半年間はほぼ介護に近い状態。飼い主さんはご高齢の方で、腰や足がなかなか自由の効かない体に鞭打ちながらのお世話だったので、心労は相当なものだった。「老々介護ね。」と笑いながら仰っていたが、まさに仰る通り大変しんどかったと思う。犬同様、よく頑張られた。14年の付き合いを終えるので感慨深いものがあり、最後の挨拶の際、飼い主さんの潤んだ目を見た時は涙腺が崩壊しかけた。10年前にご主人が亡くなられた時にも泣かなかった方の目に涙が浮かんでいるのだ。14年という歳月の間に訓練士と飼い主という枠を越えた、人と人との関係性が成立していた事の証左になるであろう。

人は人と関わる事で成長する。幸せの何たるかを知る事が出来る。

今まで多くの飼い主さんと関わり、成長させて頂いた。その御縁を作ってくれた多くの犬達に感謝である。一日でも長く犬に感謝出来る日々を送りたいと思う今日この頃である。

合掌。

第128回 『嗚呼』

先日から教行信証を読み始めている。親鸞聖人の主著であり、道元禅師の正法眼蔵に並ぶ、最も難解とされている仏教書である。2年程前から挑戦したいと思ってはいたが、いかんせん関連書籍の数が膨大過ぎる。何を読むべきか検討もつかん。こういう時は無理に選ばない。待つ。本が近づくのを待つ。求道心を持って日々生きていれば本の方から近づいてくるのである。そんなこんなで自分に合った本に出逢うのに2年近くかかってしまった。

東本願寺出版の『解読 教行信証』。

素晴らしい本である。現代語訳が実に美しく、解説もわかり易く、編者の無駄な説明がなく、読んでいて気持ちが良くなる。難解な教行信証が理解できる錯覚に陥る程分かり易い。もっとも、私のような凡夫がそう易々と理解出来るわけがないのだが、とにかく名著との出会いに私の心は慶喜した。毎日毎日時間の許す限り拝読し、死ぬまでに一歩でも親鸞聖人のお心に近づきたい所存である。

先日の事。とある犬の飼い主さんから電話を頂いたのだが、なんと10年前にお試しワンポイントレッスンで一度だけ見させて頂いた方だったのである。ビックリやら嬉しいやらである。失礼ながら私の記憶からサッパリ抜け落ちており、お話しを伺っていても全く思い出せないのだが、その方は私の事をハッキリと覚えていてくれていたようで、「よく僕の事を覚えていてくれましたねぇ。」と言うと「そりゃもう、衝撃的でしたから。」との事。噛むと吠えるで悩んでいたところ、一回のしつけ指導で大人しくなり、「その後も穏やかな日々を過ごしていました。」と話されているのを聞いてとても嬉しかった。(そこまで聞いていても全く思い出せない事にちょっぴり罪悪感・・・。)

で、今はその犬は亡くなったのだが今飼われている犬が噛む・吠える・引っ張るで大変との事。来客にはアキレス腱を狙って噛みにいくぐらいなのでタチが悪い。アキレス腱と首を狙う犬は重症である。かなり根が深い。

10年越しに再び関わらせて頂く御縁に不思議な気持ちと感謝の気持ちで満たされた。驕らず、誠意を持って向き合いたい。

ちなみに、その方のお住まいのマンションに到着して、お顔を拝見した瞬間に思い出した次第である・・・。

嗚呼、我は凡夫なり・・・。

 

第127回 『伴走』

本日は1月最終日。元日から散歩代行に、お預かり中の犬のお世話に始まり、何と3日にしつけ指導の相談の電話が入りその日の内にワンポイントレッスンへ行き、そして4日から通常運転になり今に至る。働き詰めである。気付けば明日から2月。『2月は逃げる』。言うてる間に『3月は去る』。光陰矢の如し。急げ急げ。道を求めて急げ急げ。うかうかなんてしてられん。

昨年の暮れより、野犬の子のしつけ指導に関わらせて頂いている。今日でワンクールを終えたのだが、やはり野犬の子は難しい。そして楽しい。飼い主さんは大変だろうが、難しいだけにやり甲斐を感じる。野犬のしつけには何度も関わらせて頂いてきたが、野犬は動きや反応が独特なのだ。正に野生。私はその動物らしさが大好きなのだ。純血種のペット然とした可愛らしさもいいが、野犬の動物然としたエネルギーは格別である。私の心は撃ち抜かれてしまう。ハートブレイクショットである。(何の話や)

最近は保護施設や保健所から飼育放棄された犬や野犬を迎える方が増えているのを感じる。非常に非常に喜ばしい事である。ブリーダーやペットショップから購入する事に全否定する気はないが、やはり保護施設や保健所から命を迎えて頂きたい気持ちの方が強い。そういう方がどんどん増える世の中になってほしいと切に願う。

だがしかしやはりしつけは大変である。ちょうど同じ時期にゴールデンの散歩のしつけをスタートさせているのだが進捗状況は雲泥の差である。ゴールデンの子も野犬の子と同様に最初はグイグイ引っ張っていたのだが、今は穏やかに私の後ろをついて歩いていて、私自身もうほとんど集中せず歩けるのだが、野犬の子はダメだ。絶対に集中を切らせない。常に100%でリードを持って歩いている。私でこれだから飼い主さんがリードを持って、穏やかに歩ける日はまだまだ先である。犬のしつけも大変だが、飼い主さんへのしつけ指導、メンタルケアはそれ以上に大変でかつ重要である。飼い主さんが私を信用してくれる限り、犬と飼い主さんの幸せの為に出来得る限りの努力を惜しまない所存である。

犬と飼い主が光明に向かっていけるよう。

飼い主と訓練士の二人三脚。

諦めない限り道は拓ける。

第126回 『大晦日雑感』

早いもので今年も今日で終わりである。今年も私は時間が出来れば、否、時間を作ってでも読書に勤しんでいた。仕事を大事にして、一所懸命に働いたのは勿論だが、それと同じぐらい読書の時間も大事にしていた。生活の為には働く事は勿論なのだが、求道心を満たす事はそれ以上の価値があると確信している。自分を向上する方法は聞法しかない。耳から聞く。眼から聞くのである。今人、古人から聞くのである。聞き、自己を知り、愧じ、反省し、奮起し、実践する。それの繰り返しである。聞法をしない人に成長はない。絶対にない。

今年は同じ本を何度も何度も繰り返し読んだ。『広く学ぶ』より『深く学ぶ』一年であった。特に以下に列記する3冊を繰り返し読んだ。

・柳 宗悦著 『妙好人 因幡の源左』

・蜂屋賢喜代著 『歎異鈔講話』

・蜂屋賢喜代著 『樂法』

この3冊に私は慰められ、叱咤され、勇気づけられた。特に蜂屋賢喜代先生との出会いは私にとって至高の喜びであった。本物との出会いに勝る喜びはない。これからの人生においても、常に私の右には蜂屋先生の本が在します事であろう。

蜂屋先生との出会いが、2025年の私にとって一番の収穫であった。

皆様、今年も一年ありがとうございました。

来年もよろしくお願い致します。

良いお年を。

第125回 『今しかねぇ』

先日の事、柴犬のブラッシングをしながらその柴犬の飼い主さんとやしきたかじん談議に花を咲かせている時に(何の話や・・・)、とある曲を教えて頂いた。

『西新宿の親父の唄』

長渕剛の隠れた名曲。

長渕剛は勿論知っているが、その曲は知らなかった。「めちゃめちゃ良い曲やから聴いてみて。」と仰られ、タイトル的にも私好みだったのもあり早速帰りの道中、YouTubeを検索して聴いてみる事に。

イントロから良い。歌詞も沁みる。そしてサビに突入する頃にはすっかり歌の世界に引き込まれ、気付けば涙が流れていた。

話は少し変わる。

毎年10月に警察犬協会が主催する全国規模の訓練競技会が長野県で催される。どうやら私の師匠が上位入賞を果たしたようである。去年に引き続いての上位入賞である。何か祝辞の電話でも入れようかと一瞬思ったがやめた。あくまで上位入賞で優勝ではないから悔しい気持ちの方が強いであろうし、何より弟子の私が祝辞を述べたところで「んな事よりお前も競技会の犬を作れ」とドヤされるのが目に見えるからだ。これが普通にお世話になった方に対してであれば「おめでとうございます。」「ありがとうございます。」で済む話だろうが、師弟関係だとそうはいかない。何とも面倒くさい関係である。

師匠の事を少しだけ書こうと思う。

私は高校を卒業してすぐに師匠の元へ行き、修行の日々を始め、30才で独立したので、約11年間お世話になった事になる。私より19才年上の方なので、訓練所に入所した時は37才。今の私より年下である。何とも感慨深い。

今の師匠はだいぶん丸くなったが当時はまだまだ若く、厳しかった。中卒で訓練士の世界に入り、腕一本で成り上がった苦労人で、すごい方ではあるが、子供がそのまま大人になったようなところがあり、思った事をそのまま口にする癖がある。それが元で周りに非常に迷惑をかけたりトラブルになる事も度々あったが、私もずいぶん罵詈雑言を浴びせられた。人前で貶される事など日常茶飯事で、今だったらパワハラで訴えられるレベルだと思う。後年、師匠の奥さんが「あの当時のキクちゃん(私の事)が不憫でならなかった。」と述懐されていたが、いやホントに酷い環境であった。仕事はキツイ(仕事ではなく修行である)、師匠もキツイ、金はない、実家に逃げ帰る足もない。毎日毎日嫌で嫌で仕方がなかったが、目の前には世話をするべき犬が沢山いる。兎に角一つ一つやるしか無かった。

あの当時の師匠は息子さんの事とか、訓練所経営の事とか、仕事のやり方の方向性とかの問題が山積していて、今思えば迷走状態だったんだと思う。後日談だが、当時は借金をしていて夜逃げも考えるほど追い込まれていたそうである。そんな状況で犬の訓練に身がはいる訳もなく、競技会で好成績を修める師匠の姿を見た事がなかった。今では訓練所も移転し、息子さんも弁護士として立派に独立を果たし、心身共に充実されているのだろう。近年の競技会の成績がそれを物語っている。今、師匠の元で修行をしている子が二人おられるみたいである。

正直、羨ましい。

今私が18才で、師匠の元で修行を始めたら今とは全く違うタイプの訓練士になっていただろうと思う。

ま、仕方ない。因縁である。

荒れていた頃の師匠に師事した事でしか得られないものもあると思う。全て因縁と受け止めて、一歩一歩進むのみである。

長渕は唄う。

『やるなら今しかねぇ やるなら今しかねぇ

66の親父の口癖は やるなら今しかねぇ』

そうだそうだ。その通りだ。過去でも未来でもない。今を一所懸命に生きるのみ。

『やるなら今しかねぇ やるなら今しかねぇ

66の親父の口癖は やるなら今しかねぇ』

・・・。

・・・。

何てこった。師匠も今年66じゃねえか・・・。

何たる偶然。

何の因果や。

ハハ、今年のお歳暮は少し高めの酒でも贈るとするか。

祝い酒や。

第124回 『児孫の為には」

今月からシーズーちゃんの散歩代行を依頼されているので朝夕と行かせて頂いている。事前に「この子は全然歩こうとしないから困ってるねん〜。」と飼い主から聞かされていたので『どんなもんかいなぁ。』とリードをつけてみたのだが、何てことはない。多少主張してくるが、私のボディランゲージとエネルギーに屈してすぐに素直に歩くようになった。拍子抜け。

過保護はいかんよぉ、過保護はぁ。

過保護はその瞬間の、人間の一瞬の欲は満たせるけど、長い目で見た時にしっぺ返しがくるからね。

第一、犬の為にならん。

児孫の為には美田を買わず。

可愛い子には旅をさせろ。

犬にも当てはまる金言ですよ。

私が散歩をし始めて4週目となった今では、スタコラサッサとついて歩くようになりました。

チャンチャン。

もうすぐ11月。

言うてる間に正月。

光陰矢の如し。

狐疑猶豫は病毒の第一なり。