第110回 『止観の修習』 

ここ最近は老犬の世話で疲れている。時間とエネルギーのほとんどを持っていかれている。寝不足だし、熱中症になりかけるし、とある飼い主さんから『疲れた顔してるね。」と言われる始末・・・。

独立した翌年からの付き合いをさせていただいている飼い主さんの犬で今年で18才になる婆さん犬である。飼い主さん宅で飼育するのが困難になった為、2021年から私が引き取って世話をしている柴犬婆さんである。食欲はあり、元気もあるのだが、ここ一週間、下の世話が大変な事になってきて、もうクタクタである。小便も大便もひっきりなしに出る。獣医さん曰く、後ろ足の筋肉の衰えにより、膀胱をコントロールするのが困難になってしまったようだ。最初の頃は部屋中に新聞紙を敷き詰めて汚す度に取り換えてたのだが、一日で大きいサイズのごみ袋二袋が汚れた新聞紙で一杯になってしまい、掃除も大変で埒が明かないと判断し、今は新聞紙の上にペットシーツを敷き詰める作戦に切り替えている。掃除も少し楽になり、ストレスも軽減したので当分の間はこれでいけそうであるが、これがこの先どこまで続くのかと思うと憂鬱になる。

老々介護の果てに・・・という悲しいニュースをよく耳にするが、気持ちはすごく分かる。長生きするのも考えモンだ。健やかに老いる事の重要性を痛切に感じる。

『今』に意識をむける精進をし、少しでも明るい方へ気持ちを持っていこうと思う今日この頃である。

熱中症にもご用心。

 

第109回 『蝉と五輪と私』 

連日の猛暑である。元気なのは蝉とオリンピック選手ぐらいなんじゃないか、というぐらいの暑さである。蝉とオリンピック。今月の私の印象に残るワードである。まずオリンピック。先日開幕され、楽しみにしてた方もおられると思うが、私は開幕する三日前に知人との会話で初めて知った。「え、そうなん???」いやぁ、びっくりしましたね。いくら興味がないとは言えオリンピックが開催される事を知らなかったとは・・・。もう少し世間の話題を日々の生活に取り入れた方がいいかも・・・。

それから蝉。私にとってはオリンピックなんかより(選手の皆様ごめんなさい)よっぽどか大事である。先日の事、車から降りた時に弱り果てた蝉が仰向けの状態で足を前後左右に力なく動かしていた場面に出くわした。その哀れな蝉を見た私は『最後ぐらいはせめて土の上で・・・。』と思い、つかもうと体に触れた瞬間「ジジジジジジジジ!!!!!!!」とけたたましく鳴きながら(?)空高く舞い上がり彼方に飛び去っていったのである。残された私はビックリするやら唖然とするやらで茫然自失の体である。今の今まで瀕死の状態だったのに・・・。まるで最後の最後まで力を振り絞って生命を謳歌するかのような姿に胸を打たれてしまった。

金メダルを獲ったオリンピック選手が日本国旗を見上げながら君が代が流れる光景も感動モンだが、小さな命が見せるワンシーンにも金メダル級の価値があると思う。大切なのはそのワンシーンに気付くアンテナを立ててるかどうかだろう。

何才になっても小さな命が織りなす感動に気付けるよう、精進を重ねたい。

頑張れニッポン!

 

第108回 『日々挑戦を』

本日は6月30日。明日からもう7月である。今年も残り半分。センチな気分にならないのは充実した毎日を過ごせてる証拠だろう。嬉しい限りである。

懇意にさせていただいていた飼い主さんが自分探しの為に東京へ移住されたが、週一のペースで報告メールを送ってくれ、満足気な御愛犬の写メと共にエネルギッシュな文面から充実した生活が伝わり、ホクホクした気持ちにさせていただいている。人間は何才になっても自己研鑽に励むべきである。自己研鑽こそ人間の特権だ。

先月末から今月初めにかけ2週間とある犬をお預かりしていたが、とても良い経験をさせていただいた。非常に神経質で、興奮が早く、攻撃性もある。多大な時間とエネルギーを要する為になかなかに大変だったが、思い切ってお預かりの決断をした甲斐があった。私が犬を管理するとどのような犬でも穏やかになっていくのだが、その際私が意識している事を言葉で表現すれば『犬に一切権利を与えず、犬に対する義務を120点満点果たす。』である。広い意味での愛情は必要だが、細やかな愛情は一番最後でいいのだ。多くの飼い主は細やかな愛情を真っ先に与えている。批判覚悟で書くが、それは犬の為になっていない。私の考え方や接し方を厳しいと感じる飼い主さんは多いが、当の犬はそんな風に捉えていない。実に穏やかになっていくのがその証拠だ。犬はボスを求めている。道を示してくれる存在を求めている。癒しは二の次。むしろ癒しを求めているのは人間の方だろう。犬から癒しを求めるのであれば、まずは犬に対する義務を果たしましょう。

たっぷりの運動、明確な規律、安心できる寝床、水、エサ、静かな環境。

努力努力。

下半期も充実出来るよう、精進精進。

第107回 『続ける功徳』

先日、三年程関わらせていただいている飼い主さんから服とズボンをいただいたのだが、その飼い主さんの言葉が面白い。

「先生はオシャレに興味ない、美味いもんも食わん、酒も飲まん、車もギャンブルもせん、で何が楽しいねんなぁ。」

・・・(笑)

確かに着る物はいつもワークマンだし、靴は二千円のノーブランドだし、玄米菜食で満足だし、アルコールは10年近く飲んでないし、パチンコは耳と頭が痛くなるし、競馬は馬が可哀想で仕方がないと思ってるし、今年で15年目のボロボロハイゼットカーゴが愛しくてたまらない。まぁ、世間の方からは変わりもんと映っても仕方がないのかもしれない。よくよく思い返すとその飼い主さんからは度々お菓子をいただいていたなぁ。・・・どうやら私は施しを受けていたようだ(笑)

「日々のルーティンをこなしてる時が楽しくて幸せを感じてますよぉ。」と笑ってお答えすると、「はぁぁ???」とその飼い主さんは解せないという表情である。でも本当だから仕方がない。

読経・写経・健康体操・ストレッチ・冷水浴。

以上が私のルーティンで、近頃では自宅の便所掃除が楽しいのでおそらくルーティンの項目に増えると思う。ルーティンをこなしていると気持ちと体が軌道修正されていくのを感じる。そしてどんな事に対しても前向きに捉える力がつき、初志貫徹力が身につくようになる。それはしつけや問題行動を改善するのにも威力を発揮するのだ。しつけに必要なのは一貫性である。技術は要らん。あった方がいいが、なくてもなんとでもなる。ないと困るのはルールを貫徹する意志の力なのだ。普段から多くの飼い主さんと向き合っているが、根気のない方や移り気の多い方、理屈ばかりの方はしつけに向かない。口先ばかりで意志薄弱なボスなんて動物の世界には存在しないし、人間の世界でもそんな上司や先輩や教師の下で動く人は不幸である。

なにか一つでもいいから習慣を作りましょう。ルーティンを作りましょう。続けるという事は忍耐であり、努力なのだ。努力する癖を作り、努力する愉しみを持ち、初志貫徹力を身につけましょう。自分に力量が備われば問題行動は霧消するでしょう。

 

第106回 『里仁編』 

昨年から関わらせていただいているとある飼い主さんと犬の成長が著しい。喜ばしい事である。引っ張る・吠える・嚙むのお決まり3点セットでとても悩まれていたところ知人を介して私に連絡をしてきてくれた方である。かなり状態の酷い犬だったが飼い主さんは実によく頑張ってくれた。私の指導を厳守してくれる飼い主さんは必ず変わる。伸びる。過信はないが自信はある。過信がないから日々反省と研究と努力は怠らない。『朝に道を聞くを得ば、夕に死すとも可なり』と孔子のダンナも仰られている通り、何才になっても謙虚さと素直な心を失わず勉強である。

ドッグトレーニングという言葉があるが、犬の問題行動を改善するのはトレーニングではなく運動としつけである。散歩と教育である。散歩に費やす時間を作る努力をしなくてはならないし、教育者としての信念を確立しなくてはならない。私は犬に叱る事はたくさんあるが褒める事は皆無と言っていい。なのにどんな犬も私が飼い主さん宅に到着すると尻尾を振って迎えてくれる。そして穏やかな表情になる。それは信念に裏打ちされた教育の力である。『楽しくしつけましょう!!』『褒めて教えましょう!!』『一瞬で愛犬が賢くなる!!』・・・そのような言葉には嫌悪感を催す。虫酸がはしる。そのような言葉を発信する方たちは教育とは何たるかを考え直した方が良い。教育の根本は『地震・雷・火事・親父』である。この名言は実に深いのである。真理をついた言葉だから残るのだ。

などと書いているとまるで私が眉間に皺を寄せながら犬に教育しているかのように思われるかもしれないが、んな事はない。冷静に穏やかに、楽しんで犬と向き合っている。

教育とは静かで、厳しく、楽しいものなのだ。

それは私の言う事を厳守してくれる飼い主さんが実践で示してくれる。その証明をこれからも一つ一つ丁寧に積み上げていく所存である。

『山笑う』の季節である。テレビやスマホやパソコンで疲れた目を緑で癒しながら、教育について思いをめぐらしましょう。

第105回 『初春の駄作』

春告げる

美声の唱和

愛しかり

イソヒヨドリの愛らしい鳴き声により、春の到来を知る。今年も無事に耳に心地良い早朝を迎える事が出来る事に嬉しい限りである。目を木々に転ずれば、桜の蕾が日に日に大きくなっていくのが見て取れる。満開の桜も良いが、この時期の桜も良い味を出している。希望に向かって着々と準備を進めている感じがして、観察しているとウキウキしてくる。ウキウキウォッチング(死語)である。

今月は執着心からくる問題行動に関するしつけ指導が多かった。エサ・ソファ・おもちゃ・毛布・・・。執着の対象は様々だがメカニズムは全て同じである。警察犬訓練所で預けて余計にひどくなって帰ってきて「もうこの子は治らない。」と烙印を押された犬もいるが、私の考え方とやり方は少々ネジが外れているのでそのような犬でも10分程で執着心が取れていく。目の前で穏やかになっていく愛犬を見てポカンとされ、喜ばれるが、最終的には飼い主の努力が必要であると必ず釘をさす。犬の行動は、飼い主の行動の癖、考え方の癖の積み重ねで出来上がったものなのだ。

辛抱は宝である。

忍耐は幸福の源泉である。

テクニックばかりの情報に捉われず、自己研鑽に励んでいただきたい。ドッグトレーニングというまやかしの言葉で真実から遠ざからないでいただきたい。

ウキウキウォッチング世代の小言である。

 

第104回 『追慕』

今日2月12日は愛犬マックスが永眠した日、命日である。

あれから早や一年が過ぎた。マックスを思わない日は一日としてなかった。毎朝お地蔵様に手を合わせ、般若心経を唱える日課を七年間続けているが、その際私淑している偉人哲人の写真を立てている。一年前からその横にマックスの写真も鎮座しているが、偉人達にも遜色なく屹立している。誠に立派な犬である。

人は

死者の魂と真摯に向き合っている時に最も謙虚な気持ちになれる、と感じている。

祈りの力は絶大である。

祈りの功徳は絶対である。

資本主義や物質主義も必要な一面があるとは思う。しかし精神の世界をおざなりにすると取り返しのつかない方向に突き進むような気がしてならない。世界の時事問題がそれを如実に表しているように思う。というか取り返しのつかない方向まっしぐらなのではないか。

一人でも多くの人に祈りの習慣を取り入れてほしい。そうすれば少しは、ほんの少しは正しい方向に舵を切れるかもしれない。

私は毎日尊い死者の魂に励まされ、叱咤され、支えられている。

マックスの命日に記す。

 

第103回 『新年初投稿』

新しい年が始まって早やひと月が経とうとしている。元日から大地震と何とも不吉なスタートを切った2024年である。被災された方々が本当に本当に気の毒で、初詣から帰ってきて30分後に被災されて亡くなられた方のニュースを見て胸が張り裂ける思いがした。天変地異は時間場所関係なく襲ってくるという怖さを再認識させられた。一日も早い復興を切に願います。

私の2024年の仕事始めは2日から散歩代行でスタートした。「先生は正月がないから大変ねぇ。」と飼い主さんから言われたが、もう20年以上正月もほとんどないスケジュールで動いているので何とも思わない。逆に休みボケと無縁の人生を送らせていただき感謝である。それに世の中には盆正月関係なくお仕事をされている方はたくさんおられるのだから、文句を言うと罰が当たるってなもんだ。

本年も私淑している先生方の教えと言葉を支えに、『正しい一秒を積み重ねる』人間になれるよう精進をする所存であります。

第102回 『今年の漢字』

12月に入り、早や半月が過ぎた。もういくつ寝るとお正月である。「年を重ねる度に時の経過が早くなる。」と昔から言われてきたが『真理やな。』と感じている。8月が終了した時点で気付けば大晦日、というのがここ数年の私の実感である。『人生の最小区画である一秒に集中する事』『正しい一秒を積み重ねる事』を自己暗示にかけて努力しているが、実行度合いを自ら省みると赤面モノである。修行が足りん。シュギョウガタリンネヤガワチュウネンオトコである。ヒト科で寝屋川市に棲息中である。

私の2023年を漢字一字で表すなら『別』である。相棒マックスとの別れ、10年以上お世話になった方との別れ、15年以上出張訓練として面倒を見させていただいた犬との別れ、実家の老描との別れ。こう別れが続くと否が応にもふさぎ込みがちになり、考えさせられるものがある。特に相棒マックスと実家の老描との別離は私に大打撃を与えた。マックスも老描も、私が最もしんどかった33才から40才の時期に支えてくれた存在である。彼らのお陰で私は精神を保てていたと言っても過言ではない。その二大巨頭を同じ年に失うとは・・・。『僕たちがいなくてもあなたは大丈夫。』というメッセージなのかどうかは分からないが、とにかくも残された者は前を向いて進むしかない。もしもあの世とやらが実際にあって彼らがそこで待っていてくれるのなら、その世界に行けるように正しく生きるのみである、という思いで毎日を過ごしている。

毎年の事ながら今年もたくさん本を読み、先哲の言葉に救われ、幾多の難局を切り抜ける事が出来た。特に『西郷南州遺訓 雑賀鹿野編 頭山満講話』と『人生と財産 本多静六』の2冊からは多大なる勇気と知恵をいただき、何人も崩す事の出来ない不動の幸福を得る事が出来た。この2冊は今後の私の人生においても常に右に座すること確実である。

読書の力は絶大である。読書の功徳は絶対である。女優の芦田愛菜さんが有名子役にありがちな道を辿らず、いまだに人気を維持し、かつ魅力が増しているのもひとえに読書の力が働いていると見ている。今後、彼女がどのような人生を送られるのか楽しみである。知的で、素晴らしい女性となり、幸せになっていただきたいと思うし、また、そうなると思う。

・・・って。

お前誰やねん!!!と突っ込まれそうなのでこの辺りでやめておく。

とにかく

明るい安村ではなく

今年も終わりである。

今年も一年ありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。

精進致します。