3月に入った。風に揺れるスイセンを見て口元が綻び、イソヒヨドリの美しいハーモニーに心洗われ、メジロのつがいの仲睦まじい姿を見て優しい気持ちになる。
過ごし易い時節になった。が、何となくスッキリしない気分で過ごしている。大切な相棒を失ってから迎える初めての春である。桜が至る所で開花し始め、華やかな光景を展開しているが、いつも隣にいたマックスがいないだけでこんなにも違った景色に見えるのかと驚いている。
一個人にいかに大きな出来事が起ころうとも、自然の摂理や世間はいつもと変わりなく時を刻む。その事実に直面する時、寂しさを感じるのだろう。諸行無常を受け入れざるを得ない時、虚無感に包まれるのだろう。桜の美しさはその事に気付かせてくれる。
話は変わり、先日外を歩いている時にエネルギッシュな若い柴犬を杖をついた初老のご婦人が完璧に制御しながら歩いている光景に出くわした。思わず立ち止まり感心しながら観察していると、その老婦人の犬の扱い方が私のしつけ理論と合致している事に気付き、感心から感動へと移行し、より一層自分のしつけ理論に自信を深める事が出来た。
桜の美しさに虚無を感じ、初老のご婦人の振る舞いに希望を見出す。たまにはそのような春の迎え方があってもいい。
自然の摂理や世間の流れに捉われず、私は私のペースで再生していく。