第80回 『惜別の色』

九年もの長きにわたり私に多くの知恵と知識と技術を授けてくれた犬が旅立った。亡くなる二週間前までいつも通り元気にボール遊びをしていただけに悲しみよりも驚きの方が大きい。急激に衰弱していく姿を見て病気の恐ろしさを思い、見抜けなかった不甲斐なさに唇を嚙んだ。

飼い主さんは20年も前にご主人を亡くされてから御一人で三人の息子さんを育て上げた気丈な方であるが「息子の前でもお医者さんの前でも涙を見せなかったが菊池さんを見ると抑える事が出来ません・・・。すいません・・・。」と大粒の涙を流された。その涙に値する人間かは私には分からないが、犬と真摯に向き合ってきたという自負はある。

別れは必ず来る。死は必ず訪れる。それを思う度にうかうかしていられないと背筋が伸びる。伸びた次の瞬間にはうかうかしている自分がいる。愚かさを自覚出来るだけまだマシか。うかうかの連続で人類の歴史は成り立っている。

34才の時に10年以上関わらせていただいた犬が旅立った日は目が眩む程のまぶしい青空だった。きれいな景色であってもその時の心理状態で見え方が違う事を知った。きれいであればある程悲しみは大きくなる事を悟った。

今年の桜は私にとって、悲しみの色になるだろう。

 

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