第88回 『愁』

秋である。もうすっかり秋である。キンモクセイの香りが鼻腔をくすぐる気持ちの良い季節である。と、同時に秋は何となくセンチな気分にもなる。郷愁、哀愁という漢字からも分かるように、やはり昔から秋という季節は人をノスタルジックと言うか物悲しい気分にさせてきたものらしい。太古の人間と同じ気分に浸れるとは何とも歴史ロマンを感じるではないか。よし、ここらで一句。

『イモ食えば ガスが出るなり 大量に』

・・・・正岡子規に祟られそうなのでもうやめとこ。

9月初旬からお預かりしていた犬を無事に飼い主の元にお返しする事が出来、大変ホッとしている。一か月半もの間神経を使いながら世話していたので疲れたが、色々な事を学ばせていただいた。また一つ成長出来た事に喜びを感じる。やはり人間は歯を食いしばる時期を経て成長出来るものなのだ。

日々、一癖も二癖もある犬と向き合っているが、今月からかなり重症の犬達と関わらせていただく事になった。四匹飼われている多頭飼いで、その内二匹は過去に犬のようちえんや警察犬訓練所と計三か所にお世話になったらしいがいずれも全く成果が出ずに終わり、今回縁あって私の元に連絡が入った次第である。どのような指導やアドバイスを受けてきたのかをお聞きしたが、内容の杜撰さに愕然となった。私もかつて警察犬訓練所で修行していた人間なのでやるせない気持ちになる。

何故もっと勉強しないのか・・・。

何故もっと研究しないのか・・・。

何故もっと飼い主と真摯に向き合わないのか・・・。

郷愁。

哀愁。

訓練士業界について思いを巡らす時、湧き上がる感情をこれ以上的確に表現する言葉を、私は知らない。

第87回 『Priceless』

最近はペットショップやブリーダーからではなく保護団体から犬を迎える方が増えている。とても喜ばしい事で、この流れがもっともっと広まってほしいと思っている。そしてその関連で元野犬だった犬のしつけや問題行動改善の機会に恵まれる事案も増えている。つい先日も元野犬だった犬のしつけ指導が終了したところである。三か月間日曜日を除いて毎日通い、指導させていただいた。週六日というのは異例である。理由はいくつかある。犬の心理状態がひどい事。飼い主さんが犬に引っ張られた際にこかされ骨盤を折ってしまい、身体的にも精神的にも犬を扱える状態ではなかった事。それでも最後まで責任を持って飼うという熱意に打たれた事、等である。

最初の二か月間は私と犬との1対1である。少しの物音や人の姿ですぐにパニックを起こし逃げようとする。いわゆる恐怖症である。それも強度の。強力なリーダーシップで犬をリードし、信頼関係と主従関係を作る事に努めた。初日から私の後ろを歩く事を教え、一週間程で(私がリードを持つ限りだが)パニックを起こさず歩けるようになった。それを見た飼い主さんは私のしつけ理論に全幅の信頼を置いてくれるようになり、私のアドバイスを全て守ってくれた。このような方は稀有な存在である。なかなかお目にかかれるものではない。感心する程の努力を重ねられ、今ではほぼ完璧に犬をコントロール出来るようになり、犬は常に飼い主さんの後ろを穏やかに歩けるようになった。改めて犬の問題行動改善の鍵は訓練士と飼い主の二人三脚であると再認識させていただいた。野犬として生き、不安な日々を過ごしてきた分、素晴らしい飼い主さんに出会えて本当に良かったなぁと思う。

最終日、涙腺が緩みそうな瞳で「本当に本当にありがとうございました。」と仰られ、手には寸志の封筒を持っておられたが丁重にお断りした。それでも「いや、お願いします、受け取って下さい。」と仰られるので、「それじゃ、それはドッグフードのお金にしてあげて下さい。」と固辞した。私は既にお金以上のものを頂いている。『どんなにひどい心理状態の犬でも私のしつけ理論で解決出来る。』という証明をその飼い主さんがして下さった。それはお金では買えない財産である。

私はこの先の人生で、プライスレスな財産を一体どれ程頂けるのだろう。学ぶ心を失わず、一日一日をしっかり積み重ねていく所存である。

第86回 『吐露』

今月初めから犬を一頭お預かりしている。飼い主さんの体調面での事情で約一か月間入院されるので、その間の共同生活である。お預かりする一週間前にその犬の匂いのついたベッドをお借りして、愛犬マックスともう一頭のお預かり犬のいる部屋に置いておいた。当然そのベッドには、性別・年齢・エネルギー等の情報が詰まっているので匂いを嗅ぐ事で一方的な初対面を果たす事が出来、その犬を迎え入れる心の準備が整うのである。事前に仮の共同生活をしておく事で、実際の共同生活がすんなりスタートを切る事が出来るわけだ。このやり方はとても有効なので既に犬を飼われている方が二頭目、三頭目を迎えようとする場合に是非やってもらいたい。ペットショップ、ブリーダー、保護団体等色々な手段があるが良心的で犬の事をわかっているところであれば理解を示してくれるはずだ。

と言うわけで毎日三頭引きをしているわけだが、一頭増えるだけでやはり大変である。『一頭も二頭も変わらない』というのは猫には通用するが犬には当てはまらないと私は思う。猫は単独で生活する動物であり、犬は群れで生きる動物だからだ。群れには当然秩序がいる。明確なルールがいる。そのルールを作る事が出来るのはボスだけである。おいしいオヤツや甘い言葉でルールを作る事など不可能である。絶対的なボスがいて、明確なルールがあり、初めて安定した秩序が保たれる。しつけや問題行動に関して私は自信と信念を持っているので、何頭増えようがトラブルが起こる事はないのだが群れを制御するエネルギーを高める必要があるのは確かである。

エネルギーを高める方法は人それぞれだと思うが、私の場合は1.食生活の徹底2.睡眠時間の確保3.読書4.瞑想5.健康体操、の五本の柱でエネルギーを高め、維持する事に努めている。いずれも一人で出来る事なので他人に左右されないところがいい。人は一人では生きる事は出来ないが、自己を整える事が出来るのは自分だけである。他人や他の動物と良好な関係を築く為には自己を整える事が必須である。

と、まぁ、のらりくらりと書いてきたが最後に今回のお預かりの件に対する心情を吐露してこの稿を終了したい。

『飼い主さ~ん!!早く帰ってきて~!!』

ボスとは大変な仕事なのである。

第85回 『半分半分』

今月初めにジャパンケネルクラブ(以下、JKC)の義務研修会の為、松原市まで足を運んだ。3年振りの開催である。有名な訓練士を講師として招き、競技会の課目やドッグショー等のルールをダラダラと喋るのみ。1分が30分に感じる程くだらない、内容のうすい集まりである。行くだけ時間の無駄、お金の無駄なのでJKCの資格を返納しようかとも思うのだが、その度に師匠の顔が頭に浮かび踏みとどまる、という事を何十回と繰り返している。悲しませてはいけないなという思いにとらわれるのだ。

義理を重んじると窮屈であり、忠義の念が薄いと自己中心的になる。夏目漱石ではないがとかくに人の世は住みにくい。

世の中は無駄が多く、無駄な事で物事が進み、経済が回っている。自分もその車輪の一部だと達観するしかない。文明生活を享受するとはそういう事だと思う。

閑話休題、先日長い間音信不通だった飼い主さんから連絡があった。約1年半振り。『どうしてはるやろぉ。』としょっちゅう思っていたのでとても嬉しかった。今月下旬に行かせていただく約束を交わした。犬の状態を見たり、飼い主さんの近況を伺う事が今から楽しみである。

『世の中はいい事半分、いやな事半分』と尊敬する高僧の言葉を胸に残暑の日々を送っている。

第84回 『諫言で恩を返す』

今月初めから引っ張り癖の激しい柴犬のしつけをしている。警察犬訓練所に3か月預けていたが改善せず、担当の訓練士に唸ったり牙を見せるようになったので、飼い主さんは訓練所に対する不信感から犬を連れて帰ってきたのだが、相変わらず引っ張るし、神経質になって余計扱いにくい犬になってしまい途方に暮れていたところ、ある方の紹介を受けて私に連絡が入り関わらせていただく事になった。

初対面の時の飼い主さんの表情は今でも目に焼き付いている。不信感丸出し。そりゃ、そうなるわな・・・。犬は犬で、リードをつけようとすると唸る。そりゃ、そうなるわな・・・。

問題行動改善の為に訓練所に預けるのは間違いである。特に日本犬はやめたほうがいい。訓練所は基本訓練や高等訓練を教える施設であって、問題行動を改善する場ではない。いくら基本訓練をきっちり教えても引っ張り癖や噛み癖とは全く関係がない。事実私は日々色々な問題を抱えている犬と向き合っているがスワレやフセは全く教えていない。

する必要のない検査や手術をしたり、出す必要のない薬を処方したり、打つ必要のないワクチンを打って金をまきあげる現代医療とやってる事は同じじゃないか。全国至るところにある訓練所の方達はそこのところをもっと考慮し、研究するべきだと思う。満足してはいけないでしょ。一生勉強でしょ。訓練としつけは全く別物だ。

ちなみにその柴犬、今は落ち着いて歩くかわいい子になっている。って言うか私がリードを持った初日からちゃんと後ろをついて歩くようになっている。それを見た飼い主さんはとても驚いていたが問題行動とはそんなものだ。あとは飼い主が努力を続けるのみ。シンプルな作業を無意識に出来るようになるまで習慣化していくのみ。

第83回 『リフレッシュツルツルサマーカット 2022』

先月初めから今月中旬まで続いていた散歩代行をメインとしたスケジュールがようやく一段落ついてホッとしている。ものすごい勢いでリードを引っ張る柴犬がいたので、散歩代行という名目ではあるが勝手に引っ張り癖の矯正をしながら2週間毎日歩いていたらすっかり落ち着いた良い子になってしまい飼い主さんに大変喜ばれるという副産物もあった。散歩は散歩で楽しいが、やはり私は問題行動の改善が性分に合っている。犬の心理状態の動きを観察したり考察したりする事が大好きなのだ。

日に10頭近く散歩しながらもメインである出張訓練やワンポイントレッスンもこなし、動物取扱業関連の講習を受けたり、試験を受けたり、車の免許の更新をしたり、妻の買い物に付き合わされたりとかなりバタバタした日々を過ごしていた。気付けば「忙しい」「忙しい」を連呼していた。『心を亡くす』と書いて『忙しい』と読むが、心を亡くしている感覚はなかったので、『忙しいを口にする資格などない。』と自らを叱咤していた。『まだまだ青いなオレは・・・フフッ』などとゴルゴ13風な感傷に浸りながら(ゴルゴ13を読んだ事はないが)飲む夜明けのコーヒーは格別である。

もうすぐ本格的に暑い季節がやってくる。まだまだ時間との闘いは続く。景気付けに(?)愛犬のマックスをバリカンでつるっパゲにし、気持ちを日々整えながら、頂いた仕事に真摯に向き合っていく所存である。

第82回 『梅雨讃歌』

先月から散歩代行の依頼が激増している。新規の方、出張訓練やワンポイントレッスンで関わらせていただいた方、紹介を受けた方、等々様々だがとにかく増えている。いや、有難い事ではあるのだがメインである出張訓練の飼い主さん達にスケジュールの変更を余儀なくしてしまっているケースが増えている事が何とも申し訳ない。子供の頃見ていたテレビアニメ『パーマン』に出てくるコピーロボットがあれば・・・などと馬鹿げた事を結構マジメに考えていたりもしている。

人生の半分を犬と歩んできたが、文字通り犬と共に毎日歩いている。訓練所で修行してた頃も毎日忙しく動いてそれなりの充実感はあったが、今振り返るととても閉鎖的で視野の狭い世界であくせくしていたな、と思う。かと言って訓練所での時間を否定しているわけではない。狭い世界であくせくしている時間はモノクロに見えるかもしれないが、人生全般で見渡せばそのモノクロの時間も実はカラフルな時間だったという事に気付くからだ。40代の私にはまだまだモノクロの時間も到来する事もあるだろうが全体を見渡す目を持ち続けたいと思っている。

そしてその目を養うのに欠かせないのが読書である。私は良書に対するアンテナを張り巡らせているので常に数々の名著によって支えられている。雨の日が増えてくるこれからの季節は正に晴耕雨読と呼ぶにふさわしいではないか!!!

雨が降れば静かな心で知識を吸収し、雨が上がれば実践という肥料を与え、人の為になる知恵を収穫していく。

梅雨時も決して悪いもんじゃあない。

第81回 『新入生へ 新社会人へ 自分へ』

一年前にとある方に迷惑をかけてしまった。私の未熟さから招いた結果である。以来大いに反省し、勉強し、他の飼い主さん達に還元してきた。失敗を生かすことが出来たことに喜びを感じてはいたが、当の御本人に対しては不快な思いをさせてしまって以来お会いしていなかったので常に心の中に靄がかかっているような日々を過ごしていた。ところへ先日何とその御本人から連絡が入った。心臓が飛び上がるかと思う程驚き、そして嬉しかった。一年振りにその方にお会いした時は緊張していたが、御恩を真心込めてお返しする情熱に燃えていた。

きちっと仕事をこなし終えた時に、菓子折りと共に「ありがとう」の言葉を頂いた時は涙腺が崩壊しそうになった。ここ数年で一番嬉しかった出来事と言っても過言ではない。その方の度量の深さに私は救われた。

人は必ず失敗をする。必ず人に迷惑をかける。しかし失敗なくして成長はない。人に迷惑をかけて初めて己を振り返る。それが凡人の常の姿である。

人に迷惑をかけない方がいいのは勿論だが、失敗にビクビクしていては成長はありえないと思う。己を非として当たってくる言動に反発せず、謙虚に受け止め感謝し、明るい心で次に生かす逞しさを育んでいきたい。

人は生きているだけで迷惑をかけているんだから。

第80回 『惜別の色』

九年もの長きにわたり私に多くの知恵と知識と技術を授けてくれた犬が旅立った。亡くなる二週間前までいつも通り元気にボール遊びをしていただけに悲しみよりも驚きの方が大きい。急激に衰弱していく姿を見て病気の恐ろしさを思い、見抜けなかった不甲斐なさに唇を嚙んだ。

飼い主さんは20年も前にご主人を亡くされてから御一人で三人の息子さんを育て上げた気丈な方であるが「息子の前でもお医者さんの前でも涙を見せなかったが菊池さんを見ると抑える事が出来ません・・・。すいません・・・。」と大粒の涙を流された。その涙に値する人間かは私には分からないが、犬と真摯に向き合ってきたという自負はある。

別れは必ず来る。死は必ず訪れる。それを思う度にうかうかしていられないと背筋が伸びる。伸びた次の瞬間にはうかうかしている自分がいる。愚かさを自覚出来るだけまだマシか。うかうかの連続で人類の歴史は成り立っている。

34才の時に10年以上関わらせていただいた犬が旅立った日は目が眩む程のまぶしい青空だった。きれいな景色であってもその時の心理状態で見え方が違う事を知った。きれいであればある程悲しみは大きくなる事を悟った。

今年の桜は私にとって、悲しみの色になるだろう。

 

第79回 『縁を想う』

今月から13才の柴犬の散歩代行をしている。独立開業して2年目からの付き合いなのでかれこれ10年以上関わらせていただいてる事になる。出張訓練が終了しても散歩代行やしつけの相談等で関わらせていただける事に感謝感謝。犬は白内障、飼い主さんは緑内障に膝の不調。出会った当初は矍鑠とされていたご婦人であったが、明らかに老いの兆候が見られ、すっかり弱られてしまった。10年という時間は確実に人を変えてしまう。縁を想う。

偶然にも今月に入ってから、出張訓練を終了して数年経った方々から5件連絡があった。しつけの相談、散歩の依頼、近況報告等様々だが再び関わらせていただく事はありがたく、光栄に思う。訓練士と飼い主の理想の関係はこれに尽きると思う。人との縁を大切にする日々をこれからも重ねていきたい。

話は逸れるが今月に入ってから小説も読み始めている。普段小説は全く読まないが、年に一、二回発作的に小説が読みたくなる衝動に駆られる事がある。たいていは日にち薬で治まるが今回のはどうも治まらない。って言うか無理に抑える必要もなかろうという事で、前々から興味があった夏目漱石の『草枕』を発作薬に選んだ。『智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。』というあまりにも有名過ぎる冒頭文から始まる日本文学史に残る名作。智に働き過ぎるきらいのある私はこの一文で完全に心を鷲掴みにされてしまった。角が立つ事を恐れる必要はないと思うが、立ち過ぎる人生もどうかと思う。智に働き過ぎる人、情に棹さし過ぎる人、意地を通し過ぎる人・・・。世の中には色んな人がいる。人は人に傷つけられ、悩まされる。しかし人を救うのもまた人。せっかく地球という同じ星に生まれ、生かされているんだから一人一人己の欠点を自覚し、謙虚な心で精進して、手を取り合って、譲り合って、穏忍自重しましょうよ。